7月7日(日)大日如来祭典
■「だいにっつぁま」で親しまれる大日如来祭典(7月7日)
7月にはいり、どんよりした日が続いています。
大人も子供も楽しみにしている大日如来祭典がいよいよ始まります。
源太山の街並みに、ずらっと並ぶ夜店や、子供達の描いた「お祭りの絵」や細い路地を抜けた小道の提灯を見るのが楽しみだったりします。
小学校の裏山に、えっ!こんな場所に神様と如来様が・・・と、日本人ならではの、心の広さを感じざるを得ません。
気になるのはお天気ですが、なんとかこのまま持ちこたえてくれたらいいのですが・・・
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大日如来祭典
「ダイニッツアマ」の名で親しまれている大日如来は、新居小学校の北側、湊神社の山との境界に鎮座し、例祭は、毎年7月の第1日曜日に行われています。昔から当日は、夜店が、源太山通りの両側に所狭しと立並び、夏祭りとして子供達の夢をかきたてています。
文献によれば、「寛政11年(1799)1月22日頃、開眼供養、石工岡崎より参り・・・」とあり、現在の小学校の位置にあって、新居で一番見晴らしがよかった大山木花(おおやまこのはな)神社〔通称お富士さま〕と共に祀られていたが、小学校建設時の源太山取り崩しによって、現在位置に移りました。「お富士さま」のほうは、明治初年の神仏分離政策により、明治15年8月20日に一度、諏訪神社境内地に遷座したが、昭和34年9月24日源太山区民の希望により再び今の大日如来とあわせて祀られています。
大日如来(だいにちにょらい)とは・・・・
大日とは「偉大な輝くもの」(サンスクリット語マハーバイローチャナの訳で、元は太陽の光照のことであったが、後に宇宙の根本の仏の呼称となり『大日経』『金剛頂経(こんごうちょうぎょう)』など真言(しんごん)密教のもっとも重要な教主であります。
平安時代、空海(いわゆる弘法大師が、大日如来と一体化すること即身成仏を究極の目的とした真言密教 真言衆の開祖
大日如来は、宇宙の中心におられる根本仏であり、『大いにあまねく照らす』大光明を放って、すべての者を照らしてくれます。太陽系惑星群でいえば、太陽そのもので、夜も昼も、そして、雲に光線を邪魔されることなく照らしてくださるのです。‘大いなる日輪の如来’と書いて「大日如来」というのです。
真言密教では、こういう考えかたをします。“大日如来と自分とは、本来は1つである”“自分も大日如来なのだ”と、ですから「ご本尊様を自分自身だと観じて瞑想せよ」というのです。しばしの間
自分自身の姿と重ね合わせ、今の自分を問い直す・・・仏像としてのご本尊様は、「自分を見つめる鏡でもあるのです。
大山」木花神社(通称お富士さま)
祭神として 木花佐久夜姫=木花邪姫(コノハナサクヤヒメ)が祀られている。
コノハナノサクヤビメ(ヒメ、姫)は、日本神話に登場する女神。一般的には木花咲耶姫(コノハナサクヤヒメ)と記される。また『古事記』では木花之佐久夜毘売、『日本書紀』では木花開耶姫と表記する。コノハナサクヤビメ、コノハナサクヤヒメ、または単にサクヤビメと呼ばれることもあります。『古事記』では神阿多都比売(カムアタツヒメ)、『日本書紀』では鹿葦津姫または葦津姫(カヤツヒメ)が本名で、コノハナノサクヤビメは別名としている。天照大神(アマテラス)の孫である天孫ニニギノミコト(瓊瓊杵尊、邇邇芸命)の妻。
神話の記述
日向国に降臨した天照大神の孫・天孫ニニギノミコトと、笠沙の岬(他、宮崎県、鹿児島県内にも伝説地)で出逢い求婚され、父のオオヤマツミはそれを喜んで、姉のイワナガヒメと共に差し出したが、ニニギノミコトは醜いイワナガヒメを送り返し、コノハナノサクヤビメとだけ結婚しました。オオヤマツミはこれを怒り「私が娘二人を一緒に差し上げたのはイワナガヒメを妻にすれば天津神の御子(ニニギノミコト)の命は岩のように永遠のものとなり、コノハナノサクヤビメを妻にすれば木の花が咲くように繁栄するだろうと誓約を立てたからです。コノハナノサクヤビメだけと結婚すれば、天津神の御子の命は木の花のようにはかなくなるだろう」と告げた。それでその子孫の天皇の寿命も神々ほどは長くないのである(天孫降臨を参照)。
コノハナノサクヤビメは一夜で身篭るが、ニニギは国津神の 子ではないかと疑った。疑いを晴らすため、誓約をして産屋に入り、「天津神であるニニギの本当の子なら何があっても無事に産めるはず」と、産屋に火を放っ てその中でホデリ(もしくはホアカリ)・ホスセリ・ホオリ(山幸彦、山稜は宮崎市村角町の高屋神社)の三柱の子を産んだ(火中出産を参照)。ホオリの孫が初代天皇の神武天皇(ヤマト・イワレヒコ)です。
説話 コノハナノサクヤビメは木の花(桜の花とされる)が咲くように美しい女性の意味とするのが通説があります。
信仰 富士山を神体山としている富士山本宮浅間大社(静岡県富士宮市)と、配下の日本国内約1300社の浅間神社に祀られています。 火中出産の説話から火の神とされ、各地の山を統括する神である父のオオヤマツミから、火山である日本一の秀峰「富士山」を譲られた。祀られるようになり富士山に鎮座して東日本一帯を守護することになった。 ただし、浅間神社の総本山である富士山本宮浅間大社の社伝では、コノハナノサクヤビメは水の神であり、噴火を鎮めるために富士山に祀られたとしている。また、この説話から妻の守護神、安産の神、子育ての神とされており、コノハナノサクヤビメにちなんで桜の木をご神木としています。
富士山麓忍野八海の湧池はコノハナノサクヤビメにゆかりの池として、毎年行うコノハナノサクヤビメの祭りで神輿をこの池の水で洗い浄める。さらに、コノハナノサクヤビメはサカトケコノカミ(酒解子神)と呼ばれて、酒造の神ともされています。
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7月にはいり、どんよりした日が続いています。
大人も子供も楽しみにしている大日如来祭典がいよいよ始まります。
源太山の街並みに、ずらっと並ぶ夜店や、子供達の描いた「お祭りの絵」や細い路地を抜けた小道の提灯を見るのが楽しみだったりします。
小学校の裏山に、えっ!こんな場所に神様と如来様が・・・と、日本人ならではの、心の広さを感じざるを得ません。
気になるのはお天気ですが、なんとかこのまま持ちこたえてくれたらいいのですが・・・
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大日如来祭典
「ダイニッツアマ」の名で親しまれている大日如来は、新居小学校の北側、湊神社の山との境界に鎮座し、例祭は、毎年7月の第1日曜日に行われています。昔から当日は、夜店が、源太山通りの両側に所狭しと立並び、夏祭りとして子供達の夢をかきたてています。
文献によれば、「寛政11年(1799)1月22日頃、開眼供養、石工岡崎より参り・・・」とあり、現在の小学校の位置にあって、新居で一番見晴らしがよかった大山木花(おおやまこのはな)神社〔通称お富士さま〕と共に祀られていたが、小学校建設時の源太山取り崩しによって、現在位置に移りました。「お富士さま」のほうは、明治初年の神仏分離政策により、明治15年8月20日に一度、諏訪神社境内地に遷座したが、昭和34年9月24日源太山区民の希望により再び今の大日如来とあわせて祀られています。
大日如来(だいにちにょらい)とは・・・・
大日とは「偉大な輝くもの」(サンスクリット語マハーバイローチャナの訳で、元は太陽の光照のことであったが、後に宇宙の根本の仏の呼称となり『大日経』『金剛頂経(こんごうちょうぎょう)』など真言(しんごん)密教のもっとも重要な教主であります。
平安時代、空海(いわゆる弘法大師が、大日如来と一体化すること即身成仏を究極の目的とした真言密教 真言衆の開祖
大日如来は、宇宙の中心におられる根本仏であり、『大いにあまねく照らす』大光明を放って、すべての者を照らしてくれます。太陽系惑星群でいえば、太陽そのもので、夜も昼も、そして、雲に光線を邪魔されることなく照らしてくださるのです。‘大いなる日輪の如来’と書いて「大日如来」というのです。
真言密教では、こういう考えかたをします。“大日如来と自分とは、本来は1つである”“自分も大日如来なのだ”と、ですから「ご本尊様を自分自身だと観じて瞑想せよ」というのです。しばしの間
自分自身の姿と重ね合わせ、今の自分を問い直す・・・仏像としてのご本尊様は、「自分を見つめる鏡でもあるのです。
大山」木花神社(通称お富士さま)
祭神として 木花佐久夜姫=木花邪姫(コノハナサクヤヒメ)が祀られている。
コノハナノサクヤビメ(ヒメ、姫)は、日本神話に登場する女神。一般的には木花咲耶姫(コノハナサクヤヒメ)と記される。また『古事記』では木花之佐久夜毘売、『日本書紀』では木花開耶姫と表記する。コノハナサクヤビメ、コノハナサクヤヒメ、または単にサクヤビメと呼ばれることもあります。『古事記』では神阿多都比売(カムアタツヒメ)、『日本書紀』では鹿葦津姫または葦津姫(カヤツヒメ)が本名で、コノハナノサクヤビメは別名としている。天照大神(アマテラス)の孫である天孫ニニギノミコト(瓊瓊杵尊、邇邇芸命)の妻。
神話の記述
日向国に降臨した天照大神の孫・天孫ニニギノミコトと、笠沙の岬(他、宮崎県、鹿児島県内にも伝説地)で出逢い求婚され、父のオオヤマツミはそれを喜んで、姉のイワナガヒメと共に差し出したが、ニニギノミコトは醜いイワナガヒメを送り返し、コノハナノサクヤビメとだけ結婚しました。オオヤマツミはこれを怒り「私が娘二人を一緒に差し上げたのはイワナガヒメを妻にすれば天津神の御子(ニニギノミコト)の命は岩のように永遠のものとなり、コノハナノサクヤビメを妻にすれば木の花が咲くように繁栄するだろうと誓約を立てたからです。コノハナノサクヤビメだけと結婚すれば、天津神の御子の命は木の花のようにはかなくなるだろう」と告げた。それでその子孫の天皇の寿命も神々ほどは長くないのである(天孫降臨を参照)。
コノハナノサクヤビメは一夜で身篭るが、ニニギは国津神の 子ではないかと疑った。疑いを晴らすため、誓約をして産屋に入り、「天津神であるニニギの本当の子なら何があっても無事に産めるはず」と、産屋に火を放っ てその中でホデリ(もしくはホアカリ)・ホスセリ・ホオリ(山幸彦、山稜は宮崎市村角町の高屋神社)の三柱の子を産んだ(火中出産を参照)。ホオリの孫が初代天皇の神武天皇(ヤマト・イワレヒコ)です。
説話 コノハナノサクヤビメは木の花(桜の花とされる)が咲くように美しい女性の意味とするのが通説があります。
信仰 富士山を神体山としている富士山本宮浅間大社(静岡県富士宮市)と、配下の日本国内約1300社の浅間神社に祀られています。 火中出産の説話から火の神とされ、各地の山を統括する神である父のオオヤマツミから、火山である日本一の秀峰「富士山」を譲られた。祀られるようになり富士山に鎮座して東日本一帯を守護することになった。 ただし、浅間神社の総本山である富士山本宮浅間大社の社伝では、コノハナノサクヤビメは水の神であり、噴火を鎮めるために富士山に祀られたとしている。また、この説話から妻の守護神、安産の神、子育ての神とされており、コノハナノサクヤビメにちなんで桜の木をご神木としています。
富士山麓忍野八海の湧池はコノハナノサクヤビメにゆかりの池として、毎年行うコノハナノサクヤビメの祭りで神輿をこの池の水で洗い浄める。さらに、コノハナノサクヤビメはサカトケコノカミ(酒解子神)と呼ばれて、酒造の神ともされています。
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お参り
すごい人でしたね。新居の衆はお祭り好きだね~
投稿者:馬堂聖也 作成日:2013/07/07 21:26:45